観音崎
和田川の生き物たち

ただいま工事中!

00 今は昔
10 死の川
20 川が蘇った!
30 生き物たち
40 ナニコレ珍百景!
50 ウナギは何処へ?
和田川の現状



今は昔
 横須賀市鴨居地区にある観音崎には,公園内は勿論のこと周辺地域にも豊かな自然が残されています。和田川もその一つで,二つの支川(現在は雨水幹線)が合流する「かもい斎場」脇を起点として,鴨居小学校前を流れ下り鴨居港へと流入する長さ約470mの小川には,ニホンウナギ(以下ウナギと略)やアユが遡り,モクズガニなども棲みついています。また,稚魚や小蟹を狙ってカワセミやアオサギなどの野鳥類が飛来することもあります。何故,この小さな川に生き物たちが訪れるのでしょう?

 その理由は下の古地図をご覧になると納得されることでしょう。本図は(鴨居)中台在住の故飯田音松氏が1994年(H.6)に作成された原図をkamosuzuがトリミングの上,川(青)・道路(茶)・水田(緑)の部分を着色,川の長さや現在の団地・施設名を加筆したものですが,川の周辺は大部分が水田で,民家は鴨居港周辺に集中,道路沿いに僅かに点在するだけで,現在団地がある辺りは畠か山林だったことが窺い知れます。和田川は田園地帯を流れる小川だったのです。今は亡き古老の話では,川にはウナギ・アユ・モクズガニの他,ドジョウ・ヨシノボリ・タニシ・テナガエビ・サワガニなどが棲みつき,6月にはホタルが飛び交い,畠では野ウサギ,山林ではタヌキ・フクロウなども出没したという。鴨居の中心部は,観音崎の要塞地帯とは対照的に長閑な田園地帯であり漁村だったのです。その名残で和田川には下にご紹介する生き物たちが今も棲みついたり野鳥たちが飛来してくるのでしょう。 
   

昭和初期5年~10年頃の鴨居地図
(1930~1935)



死の川
 長閑な田園地帯を流れる和田川も,一時「死の川」と化したことがあります。日本の高度成長期と言われる1954年(S.29)に始まった「神武景気」に続く「岩戸景気」「オリンピック景気」「いざなぎ景気」といった好景気を経て,1973年(S.48)の第一次オイルショックによって終焉を迎えるまでの約20年間,横須賀市の産業も大いに活況を呈しました。

 地元の浦賀船渠(現住重)の他,日産自動車,東芝,関東自動車(トヨタ系)などの大企業や関連の中小企業には,地方から多数の中・高卒者が集団就職。鴨居地区はそれらの人々のベッドタウンとして,大規模な宅地開発が行われました。水田は埋め立てられ,畠や山林はブルドーザーによって整地され,残された緑地は宅地には不向きな崖地だけ。 その結果,和田川には屎尿を除く家庭から出た生活雑排水が流れ込み,川は汚染され死の川と化してしまいました。更に上の図面の第3幹線部分は暗渠となり,盛り土・整地・舗装されて道路となった。第2幹線部分は川幅が狭かったこともあって,暗渠・道路化されなかったものの,第3幹線同様に生活雑排水が流れ込むため下水道となってしまった。このため和田川部分も汚染され白濁,川とは名ばかりの魚介類が棲めない死の川と化したのです。

 下の画像は今年撮影された鴨居中央部の航空写真ですが,高度成長期が終焉を迎えた1973年(S.48)頃と細部に違いはあるものの大きな違いはない。戦前の地図と比べて見ると一目瞭然。その変貌の凄さには驚かされます。
2025年(R.7)鴨居中央部・航空写真




川が蘇った!
 私がこの地に越してきたのは,皮肉なことに高度成長期が終焉を迎えた1973年(S.48)7月。その頃の和田川は,前述のように死の川と化し,川からは異臭すら漂ってくることもあった。川が流入する鴨居港も薄汚れた感じで港内では泳ぐ気にもならない。港外は流石に海水である程度希釈されてはいたが,東京湾内は周辺の都市や工業地帯から排出される様々な物質が流れ込み汚染が深刻化,観音崎周辺でも赤潮や青潮が頻繁に発生,死の海に近づいていた。

 死の川「和田川」の水質が改善されたのは,1990年(H.2)鴨居ポンプ場が稼働を開始してから。それまで和田川に流れ込んでいた家庭から出るトイレ・台所・風呂などの生活雑排水が,下水管を通って鴨居ポンプ場に集められ,浦賀~馬堀経由下町浄化センター送られ処理されるようになり,鴨居港へは雨水のみが流入するようになったため。それ以降,和田川の水質は年を追うごとに改善され,本サイトを開設した2002年(H.12)頃になると,ここにご紹介する「生き物たち」が徐々に戻ってきた。しかしながら,ホタルは水田が100%消滅したこともあり,戻ってくることはなかった。

 ウナギとアユの存在が確認されたのは2005年(H.17)6月下旬。噂を聞いて付近を通る時には,必ず川を覗き込むことにしていたが,アユはいるものの,ウナギにやっとお目にかかれたのは7月末,鴨居八幡神社の夏祭りに家内と出かける途中だった。体長1m位の太ったウナギと,40~50cmくらいの細いウナギが泳いでいた。夢ではないかと驚いたことを今でも覚えている。それにしても不思議なのは,ウナギやアユは海から遡上してきたのはわかるが,モクズガニやヒルムシロは死の川でどうして生き延びることができたのだろう?
  

鴨居ポンプ場




生き物たち
魚介類
野 鳥
植 物


魚介類
アユ(鮎・香魚)
 
キュウリウオ目  キュウリウオ科
全長:10~30cm
食性:石に付着した藍藻類・珪藻類など
香魚:独特の香気をもつことに由来
  

2007.8.20
 

2018.7.1
 
クサフグ(草河豚)
フグ目  フグ科
全長:10~25cm
食性:甲殻類,貝類,ゴカイ類、魚類など
猛毒(テトロドトキシン)があり
内臓と皮膚,特に肝臓,腸,卵巣は毒性が強い
5~8月の新月や満月の日に大群で押し寄せ岸で産卵する
  

2008.5.16
 

2008.5.16
 
ニホンウナギ(日本鰻)
ウナギ目  ウナギ科
全長:1~1.3m
食性:甲殻類・水生昆虫・小魚・ミミズ・タニシなど
絶滅危惧IB類 (EN)(環境省レッドリスト)
  

2007.8.20
 

2014.6.21
 
ボラ(鰡)
ボラ目  ボラ科
全長:数cm~100cm
食性:雑食性で付着藻類・デトリタス
デトリタスとは生物遺体や生物由来の物質の破片や微生物の死骸
基本的には海水魚であるが
幼魚のうちはしばしば大群を成して淡水域に遡上する
 

幼魚  2008.3.30
 
モクズガニ(藻屑蟹)
エビ目  イワガニ科
甲長×甲幅:5cm×5cm
食性:糸状緑藻類・ミミズ・水生昆虫・小魚など
別名:モクゾウガニ・ツガニ他
 

2007.9.8
 

2007.9.19
 



野 鳥
アオサギ(青鷺・蒼鷺)
ペリカン目  サギ科
留鳥
全長:88~98cm
食性:魚類・両生類・爬虫類・昆虫・甲殻類など
  

2019.2.22
 

2019.2.22
カルガモ(軽鴨)
カモ目  カモ科
留鳥
全長:51.5~64.5cm
食性:主に植物の葉や種子・水生昆虫・タニシなどの貝類など
 

上:♂ 下:♀  2003.3.18
 

2003.3.18
カワセミ(翡翠)
ブッポウソウ目  カワセミ科
留鳥
全長:51.5~64.5cm
食性:肉食性で主に魚・ザリガニ・オタマジャクシなど
 

2011.8.19
 

2011.9.20

2011.9.20
 
キセキレイ(黄鶺鴒)
スズメ目  セキレイ科
留鳥
全長:約20cm
食性:動物食で昆虫類やクモ類など
 

2012.10.24
 

2012.10.24
ゴイサギ(五位鷺)
ペリカン目  サギ科
留鳥
全長:58~65cm
食性:動物食で,魚類・両生類・昆虫・クモ・甲殻類など
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2011.1.3
 

2011.1.3


植 物
ヒルムシロ(蛭莚)
オモダカ目 ヒルムシロ科
浮葉性の水草
名前の由来:浮葉を蛭が休息するための莚例えて名付けられた
 

2018.7.27
 

2018.7.1

ナニコレ珍百景
 和田川にウナギが出没するようになって8年が経過。行政機関と地元町内会の和田川再生事業の成果もあって,今ではその数を増し20~30匹くらいいるのではと言う説もある。私は密漁を恐れてこれまで本サイト上で大きく取り上げてこなかったが,和田川のご近所に住むご夫婦がこのことをテレビ朝日の「ナニコレ珍百景」に投稿,2013年(H.25)10月27日に現地ロケが行われた。

 11月27日放送では,連合町内会の会長・副会長,地元町内会長と投稿者のご夫婦が住民代表として経緯を再現・熱演,見事「珍百景に登録」された。これまでは,地元民だけが知る秘かな楽しみだったが,放送されたことで全国津々浦々とはいかないまでも近郷近在から見物客が押し寄せるに違いない。「蒲焼きにして食べてやろう!」そんな不心得者が現れないことを願うばかりである。
2013.12.4 
  
  

ウナギは何処へ?
 「ナニコレ珍百景」が放送されてから12年が経過。現在,和田川にウナギは棲んでいないと思われる。私の写真フォルダーに残されているウナギの画像は2018年(H.30)が最後。近年,コロナ禍と自身の高齢化もあって,外歩きをする機会も激減したが,たまに近くを通りすがりに川を覗き込んでも,アユは確認できるが,ウナギは一匹も確認することができないのが現状。私は当初,不心得者による密漁と塗料・洗車用洗剤などの流入による川の汚染を疑ったが,ネットであれこれ検索したところ原因はもっと根深いところにあることがわかった。

 「ニホンウナギ減少の原因」をキーワードにウエブ検索したところ,水産庁のレポート「ウナギをめぐる状況と対策について」がヒットした。中味は少々お堅いが画像やグラフを多用しているので,素人の私でもなんとか理解できる。そこで本レポートをベースにAIアシスタントの回答を参考として,私なりに和田川のウナギ消滅?の原因を模索してみたのでご笑覧頂ければ幸いです。

 ニホンウナギ減少の要因として,下記の三つが挙げられる。
  1.気候変動・海洋環境の変化
  2.稚魚(シラスウナギ)の乱獲
  3.生息環境の変化

2025.
  
 
 
 
 
 

乱獲

ニホンウナギの減少の一因として、乱獲が挙げられます。特に、親になる前の稚魚(シラスウナギ)が大量に捕獲されることが多いです。産卵前のウナギを獲りすぎると、全体の個体数が減ってしまいます。日本、中国、韓国、台湾では、養殖用のシラスウナギの池入れ量に上限を設ける合意がされていますが、密漁や無報告の漁獲のために実態把握が難しいという課題もあります。

️ 生息環境の変化

ニホンウナギが生息する河川や沿岸域の環境悪化も大きな原因です。

  • 水質汚染:生活排水の流入や水の浄化機能の低下により、水質が悪化しています。ニホンウナギ自体は比較的汚染された水でも生きられますが、餌となるエビや小魚が減少することで、結果的にウナギも減ってしまいます。
  • 河川の開発:ダム建設などによる河川の改修は、ウナギの遡上(川を上ること)や降下(川を下ること)を妨げ、生育場所を奪うことがあります。
  • 気候変動・海洋環境の変化:ニホンウナギが生まれるマリアナ諸島西方海域から日本沿岸までの長い回遊ルートにおいて、海洋環境の変化が影響を与えていると考えられています。気候変動による海流の変化で、稚魚が本来の生育場にたどり着けないケースも指摘されていま
  
AIが回答を生成中
AIアシスタント

ニホンウナギが激減している原因はいくつか考えられます。2014年には国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで「絶滅危惧IB類(EN)」に指定されており、近い将来に野生での絶滅の危険性が高いとされています。

激減の主な原因

乱獲

ニホンウナギは、ほとんどの場合、成魚になる前の稚魚(シラスウナギ)の段階で捕獲されます。養殖も天然のシラスウナギを捕獲して育てる方法が主流であり、養殖ウナギも天然資源に大きく依存しています。産卵を終える前の個体を獲りすぎると、当然ながら個体数は減少してしまいます。

環境破壊

ウナギは産卵のために海へ出ますが、生活の拠点は川です。川の流れが遅く、石や岩の隙間を好むのですが、近年では洪水対策などのために河川が直線的に改修されたり、三面コンクリート張りの河川開発が進んだりして、ウナギにとって住み心地のいい生息環境が減っています。ダムの増加も、ウナギの減少と密接な関係があると指摘されています。

海流の変化

ニホンウナギは太平洋のマリアナ諸島付近で生まれ、海流に乗って日本の川にたどり着きます。しかし、近年ではエルニーニョ現象などの気象変動により海流が変化し、日本にたどり着かずに死んでしまうシラスウナギが増えていると考えられています。産卵場所が通常よりも南にずれることで、適切な海流に乗れずに死滅回遊してしまうとも考えられています。

これらの問題に対処するため、漁獲量の抑制やウナギの完全養殖技術の開発が進められています。

 ウナギは河川での生活は5年〜10数年で、成熟年齢は4歳。産卵個体を体色から「銀うなぎ」とも、「りんず(綸子)が出たうなぎ」ともいう。秋に川を下り、南に向かう。
原因はやはり人間の仕業にあるようです。人づてに聞いた話では,ニホンウナギは何者かが夜間ひそかに釣り上げていったとか。また,川の上流部は雨水幹線(注)に位置づけられているため,路上洗車した汚水が道路脇側溝の枡に流れ込んだり,不要塗料を廃棄する不心得者もいるとか。普段は比較的きれいな川の水も白濁して流れているのを私も何回か目撃したことがある。




和田川の現状
 私が本ページを作成する切っ掛けは,M.O.さんから送られてきた1枚のカワセミの画像。2025年1月3日に和田川で撮影されたと言う画像のカワセミはメスで,明らかに水中の獲物を狙っている雰囲気がある。和田川にはまだ稚魚や小蟹がいてカワセミも飛来しているようだ!この写真に力づけられて和田川の現状を調べてみることにした。
 

2025.1.3  ©M.O.